コース再建へ白羽の矢 超人気ラーメンが生まれるまで ~生野高原CC
ゴルフ場の名物メニューというのはよく耳にする。地元の海鮮やブランド牛を使ったメニューだったり、担々麺や麻婆豆腐などの中華系も多い。今回取り上げる生野高原カントリークラブ(兵庫)はラーメンが名物。来場者の半数以上が注文する超人気メニューとなっている。ラーメンがおいしいゴルフ場はなぜ生まれたのか? その経緯を探ってみたい。
全都道府県で12位。関西では圧倒的に広大な面積を誇る兵庫県のちょうど真ん中あたりに位置するのが生野高原だ。コースの標高は600m。神戸や姫路といった県内の都市部と比べると5℃程度、気温が低く、バブル期には「関西の軽井沢」といううたい文句で周辺の土地が別荘向けに大々的に分譲販売されていたという。この別荘地は現在、新たな宿泊施設が建設され、再整備が進んでいる。
周囲には観光スポットもある。代表的なのは、北に向かって30分ほど車を走らせたところにある竹田城跡地。「日本のマチュピチュ」とも呼ばれる天空の城だ。生野高原カントリークラブの田中智也支配人は8年前までこの竹田城跡地の観光施設で支配人を務めていた。テレビCMに使われたことなどで、竹田城の人気がピークだった時期。「3年続けて50万人以上の観光客が訪れる状況で、疲れてしまったんですわ。そんな時にゴルフ場の支配人をやらないかという話をもらいました」。この誘いに乗ったところから、25年前に土日は3万円以上した元名門コースの立て直しに尽力することになる。
取り組んださまざまな改革のひとつがレストランのリニューアル。「私がここに来たのは委託業者が入った直後でした。メニューの数も少ないし、当時の業者とは何度も新メニューの開発などの交渉をしたんですが、応じてもらえず、4年目の途中で契約を打ち切って、レストラン業務を自営に戻すことにしました」。ここからさまざまなツテをたどって新たな料理長探しを始める。そこで浮上したのが隣町の神河町でラーメン店の店主をしていた現在の屋禰勝彦(やね かつひこ)レストランチーフだった。
屋禰チーフは地元が神河町。大阪でラーメン業界に入り、10年後に独立し、姫路で「博多ラーメン真実(まこと)」を営んでいた。雑誌にもたびたび掲載される人気店となり、経営は順調だったが「地元から姫路まで、片道40~50分、毎日通うのが体力的に厳しくなっていました」。店は後輩に譲り、新たに地元で店を構えたが、こちらは思うようにはいかなかった。「田舎ですからね。皆さん、夕飯を外で食べるとか、夜中にラーメンを食べる習慣がないんです。売上も良くないんで、しんどいなと思っていた時に料理長の話を頂きました」。他にも料理長候補はいたが、今の店をたたんで、ゴルフ場のレストランに専念するというのは一人だけ。田中支配人が選んだのは屋禰チーフだった。
元は人気店の店主だけにラーメンの味は間違いない。レストランはゴルファー以外の一般客も受け入れているため、かつてのファンが訪れることもある。「ラーメンの味を決めるのはスープ以上にかえし(タレ)なんですわ。そこには千ヶ峰南山名水という神河町のミネラルウオーターを使っています。水道水で作るのとはやっぱり味が違いますわ」。こだわりのラーメンは生野高原CCの名物となり、今ではそれがすっかり定着している。
もちろん、ゴルフ場のレストランをラーメン専門店にするわけにはいかない。雪でコースがクローズとなる1~2月は毎年、出向という形で和食店で働きながら他の料理を勉強している。調理師免許を持つスタッフの協力を得ながら、かつて外注業者に断られていた和洋中が揃った豊富なメニューも実現させている。
竹田城での多忙な日々に疲れていた田中支配人と地元に出した新しい店では苦戦していた屋禰チーフ。2人とも誘われるタイミングが少し違えば、生野高原CCに来ていたかどうかは分からない。ラーメンがおいしいゴルフ場が生まれた背景に奇跡と呼ぶほどではないけれど、ちょっと不思議な巡り合わせがあった。