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「本当にしんどかった」中井学があがき続けた学生時代 事故と留学と涙の出会い

2021/12/18 12:45

YouTubeのレッスン動画で、多くの悩めるアマチュアゴルファーを救ってきたプロゴルファー中井学(49)。常にプレーヤー目線で、真摯に分かりやすく説き進める内容と、独特のやわらかい語り口が人気を博している。そんな彼が、どういう経緯でレッスン道に従事したのか――。意外と知られていない激動の半生を振り返る。

運命を変えた幼少期の事故 ゴルフと出会うまで

―ゴルフを始めたきっかけは?
「ゴルフを始めたのは14歳のときです。意外と遅いのですが、その前に小学校時代は野球と剣道に打ち込んでいました。そんなとき、校庭の遊具が壊れて地面に落ち、肩からひじにかけての亀裂骨折で神経と腱(けん)を脱臼してしまいます。病院に行っても『大したことない』『そのうち治る』と言われ、ひじを固定しただけの処置で済ませていたことで、その後ずっと痛い状態のまま過ごすことになりました」

ことし開設したYouTube「中井学ゴルフチャンネル」は登録者数27.2万人(※12/18時点)と好調

―いま考えると訴訟ものですね?
「当時は遊具が壊れても、遊んでいた子供に責任があるという風潮でした。ケガをしたときも、母親は学校側に謝っていましたから(笑)。そんな時代だったこともあり、ひじの痛みをちゃんと診てもらえなかったことが、その後の私の人生に大きく影響することとなります」

―それからどのようにゴルフと出会う?
「ケガをしてしまったことで、野球も剣道も思うように打ち込めなくなっていき、結果的にどちらもやめてしまいました。自分の好きなことを奪われたショックで、その後はふてくされた状態に陥り、その様子を見かねた父親が『ゴルフだったらできるだろ』と誘ってきたのが始まりでした」

芽吹いたゴルフ愛と米国留学への切符

―高校時代はゴルフを続けていた?
「はい。続けてはいましたが、やっていることを周りに公言していませんでした。いまでこそカジュアルな印象が付き始めてきましたが、当時はまだお金持ちや高齢者向けというイメージが強く、10代の若い自分には、まだ早いという後ろめたさがあったからです。ただ『日本ジュニア選手権』などの大会には出場していたので、大学のゴルフ関係者から推薦状が届いたことで学校側にバレてしまいました」

ゴルフエリートではなく自ら切り開いた紆余曲折の半生を語る中井

―推薦でそのまま大学に?
「いいえ。その頃から、プロの世界が甘くないことは知っていましたし、幼い頃から毎日練習に励んでいたわけでもないので、そんな自分が一念発起して練習に励んだところで、プロとして通用しないことはわかっていました。また、ゴルフだけの人生という偏った進路を拒んだこと。金銭的に親に負担をかけてしまうことも考え、私立の大学に推薦での入学という選択肢は私にはありませんでした」

―そこからどういう進路に?
「推薦を断って、勉強して国公立を目指しました。結果として受験に失敗して一年間浪人生活を送ることとなりますが、そこで芽生えたのがゴルフ愛でした。真剣にゴルフに取り組みたいと強く感じたのです。そんなときに留学関係の本で、大学の代表としてゴルフ部で活躍するなら奨学金がもらえるという話を見つけ、これだ!と。ですが、母親や親戚にアメリカ行きを反対されたため、日本の大学に合格してからという条件で約束を取り付けました。保険をかける意味でも、証拠が必要だったのでしょう。私にとっての日本での大学受験は、米国留学への切符を得るための行為でした」

奇跡的な出会いに号泣した日

―大学には合格した?
「日本の大学に運よく引っかかったので、その証明を盾に両親を説得しました。正直ゴルフができる環境であればどこでも良かったのですが、米国カリフォルニア州のシトラスコミュニティカレッジに入学します。なぜこの学校かと言うと、当時テレビで見たフランク・ジョーブ博士という野球選手のひじのケガを治すトミー・ジョン手術を考案した人が、同州に住んでいたから。浅い考えでしたが、彼の近くに住んでさえいれば、何かきっかけが生まれるのではという淡い期待を胸に、入学を決めたのです」

―入学後ジョーブ博士には会えず?
「ある日、学校で一番仲の良かった友人の彼女から『良い医者を知っている』と紹介されました。初めは院名に『ジョーブ』が付いていても、本人ではないと半信半疑だったのですが、実際に出てきたのは本人。とても驚き、これでひじが治ると思って安堵(あんど)したのか、出会った瞬間の記憶がないほど泣きじゃくっていたと聞きました」

―同じチームメートにレッスンをしていた?
「ケガが治って、大学の代表としてゴルフに打ち込む日々のなか、友人の誘いでレッスンプロに通っていたのですが、当時30分100ドルという高額な設定と指導の内容に、これなら自分でやったほうがましだと思いました。そのあとビデオカメラを購入し、自分のスイングを撮影していたのですが、仲間も面白がって『俺も、俺も』とせがむので、撮ってあげて少しアドバイスをしてみたら、みんなみるみるうちに上達していく。それが、私のゴルフを教えるということのスタートでした」

奇跡の出会いを振り返り 当時の感動を思い返して涙を流す場面も

10代20代の多感な時期に、中井学を悩ませ続けたのは、小学校時代の不慮の事故だった。「あの事故がなければ…」と恨み節が漏れた一方で、「(逆に)ゴルフをしていなかったと思う」とも捉えている。人生は試練や失敗の連続が付きまとうが、出会った仲間や恩人によって、少しずつ理想の形を模索し、追い求めていく。遠くを見つめながら、涙を拭う仕草が印象的だった。(編集部・内田佳)

《後編「YouTuberプロ中井学を突き動かす原動力」に続く》

取材協力/こだまゴルフクラブ(埼玉県)