「2位で賞金女王を狙え」 表純子の運命を変えた岡本綾子と夫の存在
小祝さくらの「全米女子オープン」(6月2日~)出場により、国内ツアー連続出場記録が142試合でストップし、改めて脚光を浴びた数字がある。表純子(48)が、2011年から17年にかけて記録した歴代1位の「241」だ。ことし2月、10年前に養子に迎えた姉の息子が長女を授かり、若きおばあちゃんプロとなった。「目標は初のオババ優勝」と笑う、衰えしらずな“鉄人”の半生を追った。
運動神経抜群のバスケ少女がゴルフに転身
―幼少期はどんなお子さんでした?
「男の子と遊んでばかりいる活発な子でした。運動神経では誰にも負けない自信がありましたね。小学校ではママさんソフトボールチームに入り、中学校からは本格的にバスケットボールを始めました。高校では広島県で指折りのバスケ強豪校に入り、一日中ボールを追う日々を過ごしました」
―ゴルフを始めたきっかけは?
「高校卒業まではバスケ一筋で、18歳までゴルフのゴの字も知りませんでした。卒業するときに、運動神経を生かせる実業団のある会社を探していて、女子プロゴルファーを目指す若手社員を募集していたシャンソン化粧品(静岡県)に、声をかけていただいたのがきっかけです」
―バスケに未練はなかった?
「背が小さかったこともあり、見切りをつけていました。また高校時代の練習が厳しすぎたことも、別のスポーツに挑みたい思いが芽生えた理由のひとつ。ゴルフ場に勤務しながら、研修生として練習に打ち込みました。『プロになりたいなら一日1000球を打て』という指導も、バスケの過酷な練習に比べればなんてことなし。全く苦になりませんでした」
師匠・岡本綾子との出会い
―ゴルフを始めてわずか4年でプロ合格?
「はい。初めてのラウンドはスコア107くらいで、3カ月後には70台で回ることができました。プロテストは1回目の挑戦では落ちましたが、1次を通ったことで『やってきた練習で間違いない』と思えるようになり自信に。テストに合格してからも、練習時は多めの球数を打っていましたが、師匠の岡本綾子さんに『1球1球もっと大切に打ちなさい』と怒られてからは、少なめになりましたけど…(笑)」
―岡本さんとの出会いはいつ?
「プロになって数年が過ぎた頃、埼玉県の飯能市で行われた試合のあと、ご飯に誘ってくれたことがきっかけです。そこで『(あした)座禅を組むけど一緒にどう?』という話になり、興味本位で付いていきました。岡本さんは警策(けいさく)でやさしく叩かれているのに、私はバチーンと思い切り叩かれ、肩を痛めたことを覚えています」
―岡本さんにかけられた印象的な言葉は?
「2005年『シャトレーゼクイーンズカップ』の初優勝まで、2位が11回。“シルバーコレクター”と呼ばれ、少し焦りを感じていたときに、岡本さんから『2位でいいから賞金女王を狙いなさい』と助言を受けました。そういう考え方もあるんだと気づき、気持ちがとても楽になったことを覚えています」
キャディ兼夫・広樹さんとの二人三脚
―広樹さんとの出会いは?
「夫とは、研修生として勤めたコースで知り合いました。私がお客さん対応、彼がフロント担当。仕事が終わると練習場で一緒にゴルフをするようになり、仲間のひとりとして付き合いはじめました。第一印象は、とにかくやさしい人。その一面はいまも変わらず、掃除、洗濯などの家事全般をやってくれるので、助かっています(笑)」
―キャディとして帯同するようになったのはいつ?
「テストに合格したあと、なかなか芽が出ませんでしたが、2002年から初めて年間を通して出場できるようになり、どちらからともなく彼がバッグを担ぐことに。常に一緒にいる心強さもあり、徐々に結果が付いてくるようになりました。その年から年間364日くらいは一緒にいるような間柄です(笑)」
―初優勝が決まった瞬間、抱き合う姿が印象的でしたが?
「よく言われます(照笑)。私以上に夫がうれしそうにしていた姿が、目に焼き付いています。二人で積み上げたものが、ようやく形になった瞬間。勢いに乗って翌週の『スタンレーレディス』でも優勝することができました。岡本さんや彼との出会いなくして、長い間プロ生活を送ることはできていなかったでしょう」
《後編「241試合連続出場ストップ そのとき“鉄人”の心境は」に続く》
取材協力/ジョイバードゴルフ練習場(千葉県)