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おにぎりを見つめて号泣 綱渡り状態だった岡村咲のツアー参戦

2022/11/15 15:35

あなたのゴルフ人生を教えてください vol.8 岡村咲(中)

インタビューの場に元気そうな姿を見せてくれた岡村プロ

国内女子ツアーで2013年から3年間フル参戦し、はつらつとした笑顔と豪快なビッグドライブで、多くのファンを魅了した岡村咲(30)。食べ物や太陽といった重度のアレルギーを発症し、2016年から無期限休養となった彼女が、いま思うこととは何か――。一度だけと決めて臨んだプロテストから、体の不調を隠しながら戦ったツアー参戦までを振り返る。

思い出づくりで臨んだプロテスト

―高校を卒業してからは何を?
「プロテストを受ける予定でしたが、アレルギー症状(当時はぜんそくと診断)が日に日に重くなり、とにかく通院と静養に費していたため、受験するべきかどうかで悩みました。体調のことを考えると、あきらめざるを得ない状況。エントリーフィを払ったあとでしたが、辞退するべきか直前まで悩みました」

―何で判断を決めた?
「父親からのひと言でした。『人生最後の試合だと思って、思い出づくりに楽しんでこい』という言葉。そこでもし落ちた場合には、ゴルフ人生にあきらめがつくだろうという気持ちで、合格してプロになるという目的よりも、区切りとしての意味合いのほうが大きいものでした」

―結果はどうだった?
「予想に反し、1次、2次を通り、最終戦まで進むことができました。もしかしてプロになれるのではという思いが湧き、急遽そこから猛練習したことを覚えています。ただ、心の準備ができていなかったためか、当日はものすごく緊張し、ひどいゴルフをしてしまった。結果は不合格でしたが、当時TP単年登録(正会員ではなくてもサードQT以上で得られる単年の出場資格)があったため、QTに出たいという強い気持ちが芽生えました」

病状を隠しながら 綱渡り状態だったツアー参戦

―2013年からツアー参戦に?
「はい。12年のQTで好成績を残すことができ、翌年から本格参戦することができました。当時も体調不良は続いていましたが、念願だったプロとして戦うことができる充実感でいっぱいでした。病気については、悪い結果を残したときの言い訳のように捉えられることを嫌い、周囲に隠していました」

マスク姿で参戦していた13年「ワールドレディス サロンパス杯」

―当時、悩んでいたことは?
「血便や咳(せき)も依然止まる気配はなく、大変な状況は続いていましたが、それ以上に体のむくみに悩まされました。体全身がパンパンに膨れ、昨日までボールが届いていた位置に、同じ番手で届かなくなる…。初日と最終日で2番手上げる必要が出てくるほど、全く異なるゴルフを強いられました」

―アレルギーが発覚したのはいつ?
「プロ転向後に検査を重ねた結果、それまで食べていた小麦、卵、乳製品、発酵調味料、ゴマ、キウイ、コーヒーに反応が出ることが発覚しました。ただ、診断されて半年間くらいは現状を受け止め切れず、食生活を変えることなく過ごしていたため、症状は悪化する一方。いま思い返せば、いつ死んでもおかしくない綱渡り状態の中でのツアー参戦だったと思います」

おにぎりを見つめながら1時間… 涙の理由

―症状はどんどん深刻に?
「症状は悪化していきましたが、ある日を境に心を入れ替える機会が訪れます。14年『CATレディース』で、上位争いができる位置にいた最終日に、むくみが異常にひどくなり、どんどん順位を落としていきました。原因は前夜に食べたゴマ油入りの食事で、そのことが非常に悔しく、絶対に今後アレルギーのものを口にしないと決意したのです」

ボールを見つめながら思いにふける14年「CATレディース」

―その試合を機に除去食を始めた?
「はい。100%完全除去食を目指し、食事制限に対して真剣に向き合うようにはなりました。ですが、今度はそれが行きすぎて栄養失調になってしまいます。食事の量を減らし、徐々に気力も体力もなくなっていき、食べること自体が苦しくなっていったのです。最終的には、食べ物を見ると舌がのどにつまりそうになるような錯覚が残り、拒食症の状態に陥りました」

―舌が喉につまりそうになる…?
「体が思うように動かず、何も喉を通さないと訴えかけるような感覚です。お腹がすいているのに、アレルゲンではないおにぎりを、体が勝手に拒絶してしまう苦しさ。本来食べるべきものを見つめながら、1時間ほど涙が止まりませんでした」

取材協力/Koyo Golf Club 紅葉ゴルフクラブ(徳島県)

「あなたのゴルフ人生を教えてください vol.8 岡村咲(下)」につづく。