余命宣告を受けたゴルフコーチ 命絶えるその日まで・山本誠二の半生(後編)
あなたのゴルフ人生を教えてください vol.10 山本誠二(後編)
人気YouTubeチャンネル「ゴルフTV山本道場」の師範・山本誠二(56)は、今年4月末に直腸がんで、肝臓にも転移しているステージ4の末期がんと診断された。27歳のときに役者業から転身し、コーチとして紆余曲折を経て、YouTubeを駆使したレッスンが波に乗っている最中の出来事だった。だが、不屈のコーチは、余命宣告を受けた3カ月後に現場復帰を果たす。YouTubeの可能性に気づいた14年前から、現在までの半生を振り返る。
イチ早く気づいていたゴルフとYouTubeの親和性
―YouTubeを始めたのはいつ?
「実は今から約14年前の2009年8月に始めました。当時は今のようにインターネット上に動画が当たり前のように流れる環境ではなく、知り合いのアドバイスで始めることになりましたが、半信半疑でアップしていました。目的は、自分のスクールに通っていただいている生徒さんに、受講日と受講日の合間に視聴いただくため。予習や復習に活用してもらうために、レッスン動画を公開していたのです。当時はまだ“YouTuber”という言葉すら存在せず、同業の中でもかなり先駆けだったと思います」
―動画の編集はご自身で?
「はい。しばらくして収益化できるようになり、スクールに来られない遠方のゴルファーの方にも見てもらうため、レッスン業のかたわらで動画制作に精を出すことになります。最初は全く視聴回数も伸びず、単に自分の取り組んでいることを一方的に公開していましたが、2017年に転機を迎えます。突如、日本最大のYouTuberマネジメント事務所であるUUUMから連絡が来て、食事会に誘われたのです。その会場で、今度本社に来るように誘われ、改めてお会いした社員の方にアドバイスをいただいたことで、後々とんでもないことにつながります」
―とんでもないこと…?
「UUUMの社員の方に、『山本さんのやりたいことは、かなり上級者向けです。もう少しシンプルに、気軽にゴルフ誌を手に取った人でも興味が抱ける内容にしてみては』と助言をいただきました。その後、指示通りブラッシュアップしたところ、みるみる数字が伸びて…。それまで伸び悩んでいたチャンネルが、嘘のように激変し、驚くほどの数のゴルファーに見ていただくようになりました。その後はYouTubeの効果もあり、少しだけですが金銭的にも余裕が生まれました」
「半年は持ちません――」 生死をさまよった2カ月間
―仕事は順調な一方で、病気に気づいたのはいつ?
「今年の冬、娘らと出向いたオーストラリア合宿中で倒れたのがきっかけです。師匠ゲーリー・エドウィン先生にも久しぶりに会うことができ、労いの言葉をもらって安心していた矢先のことでした。今思うと忙しさにかまけて、自らの体を顧みず定期検診もろくに受けていなかったことが、わざわいしたといえます。宿泊中に倒れ、駆け込んだ病院で潰瘍性扁桃腺膿疱(かいようせいへんとうせんのうほう)と診断を受けました」
―潰瘍性扁桃腺膿疱とは?
「扁桃腺(舌のつけ根の両サイドのこぶ)に皮膚が部分的に膨れて、中に膿がたまる病気です。そこできれいに除去してもらったのですが、体調は元に戻りませんでした。ただ、ビザの関係で退院を余儀なくされて帰国。体の異変には薄々気づいてはいましたが、強めの抗生物質を打ったせいにして、深刻に考えていませんでした。オーストラリアの医師からは、帰国したら絶対に診断書を主治医に見せるようにと釘を刺されていたのに…」
―なぜ楽観視していた?
「楽観視していたというよりも、今取り組んでいるレッスン業をストップすることへの恐怖です。せっかくYouTubeも順調で、娘らのプロテストも迫っているのに、ここで歩みを止めたくない。どうしても受診することを拒否していました。しばらくして、以前から通っていたボクシングジムで汗をかいたあと、あまりの状態を見かねたジムの会長に『引っ張ってでも連れて行く』と説得され、行きつけの病院へ一緒に行くことになります」
―検査の結果は?
「抗生物質のせいにする私の言葉を聞いた先生は、すぐさま否定。すぐにCT検査を受けるように促されました。その結果に、私も妻も愕然とします。肝臓は完全な真っ黒状態。『余命は?』と聞くと『半年は持ちません』と言われてしまいました。母親をがんで亡くした経験を持っていたので、実際の余命はもっと短いと判断。2~3カ月だろうと察しました。そこから紹介状を持っていった病院でも同じ結果を言い渡され、すぐに緊急手術を行うことになります」
―余命宣告を受けた際に思ったことは?
「余命宣告を受けたとき、自身の体のことよりYouTubeの存続のことばかり考えていました。自分が倒れてしまったら、その後のチャンネルはどう続けていけば良いのか。ただ絶望というよりは、ゴルフで培ったリカバリーする際の考え方や、事前にシミュレーションすることが体に染みついていたため、闘病への覚悟は早かったです。OBを打ってしまったあと、右往左往していても仕方がない。現状を把握し、的確に改善策を見つける。1カ月間の入院とその後の自宅療養を速やかに行った結果、最悪の状態を脱し、異例のスピードで体調は回復していきました」
“地面反力”への新たな発見 伝え続けたい最期のその日まで
―手術の結果は?
「手術は成功しましたが、転移は確認されているため、完治できた状況とはいえません。今も抗がん剤の治療は続けていますので、食事に気をつけながら生活を送っていますが、余命の期日を過ぎた現在も、以前と同じようにジムで汗を流し、YouTubeの撮影を行えています。食事療法を学んでサポートしてくれた妻、プロテスト直前にもかかわらず励ましてくれる娘たち。これまでもこれからも好きなことをやり続ける夫であり父親を、常に温かい目で見守ってくれる家族には、感謝の言葉しか見つかりません」
―現場復帰を決意したのはなぜ?
「実は最近、改めてですが、“地面反力”の生かし方について新たな発見をしました。体力が落ちたからこそ、地面から受ける力の強さを感じることができたんです。そこで気づいたのが、末期がんだからこそ伝えられるレッスンがあるのではないか――。たとえ練習場の階段が上れなくても、その状況を報告したうえで、死に際まで動画を回し続けたいと思いました」
―今後の夢は?
「実は今後、病気を治して長く延命しようとは思っていません。それよりも限られた時間で、今以上に精一杯レッスンを行いたい。YouTubeを見ている視聴者の皆さんに、もっと新たな気付きを提供したい。最期のその日が来るまで、コーチ業を全うすることが私の夢です」
取材協力/多田ハイグリーン(兵庫県)