ツアー2勝・平田憲聖がさらなる飛躍へ向けて選んだ勝負カラー
世界のプロゴルフシーンは新型コロナ禍時代に入って世代交代が目覚ましい。欧米ツアーのみならず、傾向は日本も同じ。2023年の男子ツアーはみずみずしい若手が牽引役を担い、賞金ランキングトップ3の選手がいずれも25歳以下だった。
23歳の平田憲聖もまた、彼らに勝るとも劣らない活躍を見せたひとり。昨季賞金ランキング6位。日本で、そして世界で軽やかに纏う「オークリー」のウェアには輝かしい将来が透けて見える。
同世代のライバルはかつて「雲の上の存在」
幼少期の平田のそばには、3つ年上の姉の姿がいつもあった。母に手を引かれて通ったバレーボールの体育館に、あるいは、祖父に連れ添って行ったゴルフ場に。地元は大阪。関西地方で行われたプロのトーナメントで、それぞれ別の男子プロの手を握ってティイングエリアに入場した日も記憶に残っている。
今ある姿からすれば、平田はその頃からゴルフ漬けの毎日を送っていたようで、本格的な競技生活をスタートさせ、プロになる夢を淡く描き始めたのは「中学2年か、3年ぐらい」だった。同学年にいたお隣・兵庫県の蝉川泰果とは「高校生になっても同じようなレベルでは戦えなかった」。中学3年生でアマチュア競技の最高峰、日本アマチュア選手権で準優勝した中島啓太を「雲の上の存在」と認めるのに抵抗があったはずもない。
「もちろん互いの名前を知ってはいたんです。でも、あの頃、啓太と仲が良かったかと言われると…、僕は全然、そんな風に思えていなかった」
「他人と被らない」オークリーとの出会い
ドライバーと、他にいくつかクラブを入れたケースを背負い、自転車で近所の練習場に通う日々。今ではもう、“身体の一部”でもあるオークリーブランドに出会ったのも、そうひたむきにゴルフに向き合ってきた学生時代のことである。
父が街中のゴルフショップで買ってきたウェアの中から、目を引くモデルを手に取った。「昔から、ゴルフをするときもストレッチが効くものが好きだったので、自然と着たいと思いました」。附属高校を卒業後、進学した大阪学院大学のゴルフ部のユニフォームが同じブランドになったのも何かの縁。
「プレーがしやすく、オークリーには他のゴルフウェアにはない、独特のデザインや形がある。そのまま街にも出られるゴルフウェアもある。僕自身、あまり他人とウェアが被るのも好きじゃない。そういう意味で自分にピッタリというか」
周りと同じで構わない、という姿勢ではきっとプロの世界で生き抜けない。同世代のトッププレーヤーに迫り、いつかは抜き去らんと、平田もまた異色のキャリアを歩んできた。その大学在学中、3年時に早くも日本ツアーの予選会に挑戦。その年のフィールドで日本人トップの成績で翌シーズンの出場権を獲得し、最終学年はプロゴルファーとしてルーキーイヤーを過ごした。