Sansan特集
2022/08/05

藤田寛之の一期一会 出会いが紡ぐストーリー

連載:出会いのチカラ ~つながりが生むイノベーション~
藤田寛之をトッププレーヤーへと導いた数々の出会いとは(撮影:落合隆仁)

小学6年でゴルフを始めた藤田寛之は、中学生のときに地元・福岡で行われた「KBCオーガスタ」で初めてプロのトーナメントに触れた。2014年には涙の初優勝を飾った思い入れのある特別な大会は現在、「Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント2022」と名称を変え、2回目の開催を迎える。

Sansanが掲げる企業ミッションは『出会いからイノベーションを生み出す』。藤田もまた、数々の出会いを糧とし、成長へとつなげてきた。長いキャリアにおいて出会いの大切さを身にしみて知る藤田が、ゴルフ人生における大切な出会いを語る。

プロの道へ導いた「リトル・コーノ」との出会い

かつて日本を代表するプレーヤーとして活躍した河野高明(故人)との出会いがなかったら、「プロゴルファー藤田寛之」は存在していなかったかもしれない。

同じ1969年生まれに「東の横綱」丸山茂樹(日大)。「西の横綱」桑原克典(愛知学院大)が君臨していた学生時代。トップレベルにはいたものの、特に大きなタイトルがなかった藤田は、プロを目指すか普通に就職するか悩んでいた。その時に相談したのが「ラウンドを数回一緒にさせてもらったことがあった」という河野だった。

先人たちの支えがあって今がある。藤田の語る出会いから感謝の気持ちがにじみ出る(撮影:落合隆仁)

「プロの道に進むことについてどう思うか、聞いてみたんです。自分は小さい(身長168cm)ですし、否定的な答えが返ってくることを予想していました」

ところが、河野の口から出たのは「体は小さいけど、バネがあるからやってみればいい。面白いと思うよ」との言葉だった。「バネがある、という自覚はなかったですし、厳しいことを言われるのを予想していたので意外でした。否定的なことを言われていたら、プロをあきらめて就職していたかもしれません」

河野は身長160cmながら、初出場した1969年の「マスターズ」では当時のアジア人最高順位となる13位に。翌年は12位と順位を上げ、アメリカでも「リトル・コーノ」と呼ばれる人気者だった。その先人の言葉に後押しされてプロをめざすことを決意。専修大を卒業した1992年の秋に行われたプロテストに一発合格して、プロゴルファーとしての歩みを始めた。

師匠・芹澤信雄との出会い

藤田にとって大きな転機となった師匠・芹澤信雄との出会い(撮影:落合隆仁)

長らく師と仰ぐ芹澤信雄との出会いは、ツアー参戦3年目に訪れた。

プロ転向後からしばらく、藤田はなかなか結果を出せないでいた。葛城ゴルフ倶楽部(静岡)を拠点にしていたこともあり、先輩ゴルファーから「静岡なら芹澤がいるだろう」と助言を受ける。とはいえ特に接点もなく、「当時は雲の上の存在」だったために声をかけるタイミングをつかめずにいた。

意を決してアプローチしたのは、1995年「三菱ギャラントーナメント」の練習日だった。「タイミングが合えば、今度一緒に練習ラウンドで回らせてください、と言ったら『今日(同じ組に)入れるよ』と言われたんです。それで急きょ一緒に回りました。全くの予想外でした」。いくつかのアドバイスをもらうなど親身に接してもらい、シーズン後半戦からは練習ラウンドをともにする機会が増加。こうして、今でも続く師弟関係が築かれていった。

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「出会い」に向き合い挑戦を続けるSansan
「Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント2022」に特別協賛しているSansanは創業以来、「ビジネスの出会いの価値」に向き合い、サービスを提供してきました。

そして現在は、人と人の出会いの証である名刺だけにとどまらず、クラウド請求書受領サービス「Bill One」やクラウド契約業務サービス「Contract One」など、企業と企業の出会いの証である請求書や契約書といった領域でも新たな事業の創出とその拡大に取り組んでいます。

Sansanは、ビジネスフローにおけるさまざまな分野において、人や企業との出会いをビジネスチャンスにつなげる「働き方を変えるDXサービス」を提供するとともに、出会いそのもののあり方を変えるようなイノベーション創出に今後も挑戦し続けます。

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