モノにも人にも歴史あり ゼクシオは“みやこんじょ”から世界へ
宮崎自動車道「都城」で下りてすぐ、霧島の山々を遠方に望める宮崎県都城市の玄関口ともいえる地に「ダンロップゴルフクラブ」はある。カーボンシャフトの製造、そして特注品を含むダンロップのゴルフクラブの組み立てを担う工場だ。最新のゼクシオやスリクソン、クリーブランドのクラブ、「宮崎」を冠したMiyazakiシャフトなどは、ここ「みやこんじょ」から世界のユーザーの手へと渡っている。
松山英樹や畑岡奈紗ら世界で活躍する選手らのパネルや展示クラブに迎えられる工場の1階。奥へと足を進めるとクラブの組み立てラインがある。整然とした空間に響く機械音。パステルカラーの制服やブルーのエプロン姿の女性従業員の多さも目立ち、明るい雰囲気をかもしだしている。
直接部門190人、間接部門50人。合わせて240人が働き、男女比は5:5。生産部製造課長の田中浩二さんによると、「大きな機械などを扱うところが男性、手作業は女性が多い。繊細な作業を丁寧に対応していただいている」。一人ひとりが円滑に作業をこなしている。
■ゼクシオ誕生の3年前からコードネームで試作重ねる
同工場が稼働したのは1989年。ちょうど昭和から平成へと変わった年だ。生まれも育ちも都城の田中さんは1期入社にあたる。当時は契約先のキャロウェイ社(米国)から仕入れたクラブの検査とダンロップ製クラブの組み立てが主だったが、キャロウェイ社との契約終了後の2000年、「大きな変化」を迎える。初代ゼクシオの誕生である。
同じく1期で、入社後にクラフトマン修行やツアー現場に出向いていた経験を持つ生産技術課長の米山裕一郎さんはその頃、技術畑だったという。「ゼクシオ発売の3年前からコードネームを使って試作。ゼクシオ(の生産)を始める前に工場の形態などすべて変えた。毎日が(開発部門がある)神戸と連絡を取り、トライ&エラーの繰り返しだった」
ゼクシオの大ヒットの裏で、量産体制を整えるのは並大抵のことではなかった。「初代がヒットして、もっと納期を短くするラインを構築。毎日が挑戦で、ゼクシオ2代目のときに現在の生産ラインの原点ができた。それが大きな分岐点になった」と米山さん。
その後、世代を重ねるごとに進化や変化を遂げ、いまや同業他社の中でも「組み立てから出荷までは世界一速いんじゃないか」と田中さんは自負する。
■他社にはない「秘密の機械」
クラブの組み立てラインは、アイアンセット、アイアン単品、ドライバーとフェアウェイウッドがあり、フロアの手前から効率よく奥へと流れる。
通常なら大量に生産されるクラブを作業員が一つひとつ、細かいバランス調整計算するが、ここには「秘密の機械」がある。瞬時に的確な調整ウエイトを自動計算ではじき出す計測器だ。生産誤差の間違いがなく、生産スピードも上がる。また、グリップの下巻テープを秒単位で巻く特別な機械などで効率性も高めている。
品質の高さを機械とともに支えるのは人の目と手だ。たとえば、入荷したヘッドは3、4年前までカメラ検査だったが、ヘッドの色や形状が複雑になって逆に人の目が必要になったという。