「松山英樹のDIは女性が!?」秩父と“巻き”の相関関係/大人の社会科見学「グラファイトデザイン」(後編)

縞々シャフトのルーツを探る旅「ツアーAD」が生まれた背景は?/大人の社会科見学「グラファイトデザイン社」(前編)
懐かしいシャフトがズラリ。一番手前には「ブルーG」も

ツアープロにもアマチュアにも根強いファンの多いグラファイトデザインのシャフト。前編では同社の製造工場に潜入し、ヒット作が生まれる裏側を探った。後編では彼らの歴史を紐解き、その人気の理由を探る。話は拠点を秩父に選んだ背景、そして女性のシャフト作りへの貢献にまで及んだ。(後編)

カスタムシャフトへの転換 ツアーAD初代「I-65」

工場から社屋に移動すると、ショーケースに歴代シャフトが陳列されたコーナーがあり、懐かしいモデルたちと出合った。中には縞々デザインになる前、まだOEM(委託業務)でクラブメーカー向けに製作していたころのモデルなども。それらのデザインを見ていると使用していた選手が思い浮かんでくる。

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ジャンボ尾崎がブリヂストン契約時代に使っていた「9003」、海外限定グレッグ・ノーマン(南アフリカ)の「YS」、ツアーAD初代の伊澤利光「I-65」、宮里藍が「日本女子オープン」優勝時に挿していた「W」、タイガー・ウッズが2010年マスターズで使い、松山英樹が愛用する「DI」、石川遼がアマチュア優勝後に使った「EV」など。ゴルフ界の歴史にグラファイトのシャフトがいかに深く関わってきたか、ひと目でわかる。

縞々シャフトのルーツを探る旅「ツアーAD」が生まれた背景は?/大人の社会科見学「グラファイトデザイン社」(前編)
こちらが現在のグラファイト社の外観
縞々シャフトのルーツを探る旅「ツアーAD」が生まれた背景は?/大人の社会科見学「グラファイトデザイン社」(前編)
1998年当時の外観。奥の工場は今も稼働している(写真提供/グラファイトデザイン社)

創業当初(1989年)は、ゴルフメーカー用のシャフト作っていた。ブリヂストンと契約していたジャンボ尾崎向けに作った紫シャフト「ハーモテックHM-80 9003」が一世を風靡したのは、オールドファンならご存じだろう。「90年の3番目にできたシャフトなのでそのネーミングでした。今では驚くかもしれないですが、90gあって80tの高弾性シートを使っていました。9002というのもあったんですけど、それは100gもあった。当時、ジャンボさんらはそのぐらいの重さをバンバン振っていたんですよ」と話すのはツアー担当の高橋雅也さん。

「当時はクラブも長くなかったので、バランスもけっこう出ていましたから相当重かったはずです」。9003は後に復刻版で登場するが、当時はパーツ売りがなく、完全にジャンボ専用モデルだったという。

OEMのみの展開だったグラファイトデザイン社も、ツアープロから一定の評価をもらうことで、「カスタムシャフトの時代が来る」と戦略をシフトしていった。その中で生まれたのが「ブルーG」(2002年)だ。「手元がしっかりとしていて、どちらかという走り系のモデルでした。覚えている方いますかね」と高橋さんも懐かしむ。

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ゴルフ工房向けにパーツ売りを始めたモデル。市場の評価は高く、当時まだ若手社員だった高橋さんも「社内がカスタム戦略に手ごたえを感じて沸き立っていた」のを記憶している。

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同社のシャフトを前に話すのは開発の辻本竜太さん(左)と高橋雅也さん

そして2003年に自社のロゴが入った「ツアーAD」ブランドの展開が始まった。「初期モデルはツアーを代表するプロに打たせたい」となり、白羽の矢が立ったのが当時のスター選手である伊澤利光だった。「『このシャフトは伊澤に打たせろ』という先代社長の号令で、伊澤プロ向けに開発されたモデルでした。実際、試作品を伊澤プロに打ってもらったら、1発打って『コレでいきます』となったから、我々もびっくりしたのを覚えています」

「I-65」の「I」は伊澤の頭文字、「65」は材料の65tカーボン。「当時、65tは他に例を見ないぐらい本当に高弾性なシャフトでした。ねじれを思いっきり抑えた低トルク。伊澤プロには戸塚カントリーでテストしてもらったんですが、1番ホールのグリーン手前に立って待っていたら、球が自分の上を越えていったんですよ。キャリーで320ydぐらい出ていたんじゃないですかね」(編集部注:コース改造前の1番は短かった)

縞々シャフトのルーツを探る旅「ツアーAD」が生まれた背景は?/大人の社会科見学「グラファイトデザイン社」(前編)
ツアーADのADは「Accuracy」(正確性)と「Distance」(飛距離)を差す

2年後の2005年、同じ戸塚カントリーで宮里藍が大ギャラリーを引き連れ、日本女子オープンで大会史上最年少優勝(20歳105日=当時)を果たす。その手に握られていたのが「W」だった。「『W』は先端系でした。その後に出る『PT』よりテーパーがあるシャフトでつかまりがいいモデルでした」と高橋さん。それまではパワーヒッターが好んで使っていた同社のシャフトが「女子プロも含めて万人が使える」と、イメージが変わった瞬間だった。

2007年「マンシングウェアKBSカップ」でアマチュア優勝を果たした石川遼も、ツアーADを選んだ。モデルは「EV」。「『EV』は『PT』の手元を硬くした感じです。もっと走る感じになります」

「PT」と「DI」がシャフト選びの基準になる

高橋さんが過去のモデルを話すときに、2本のシャフト名が頻繁に出てくる。「PT」と「DI」。シャフトの性能を語るときに、黒とオレンジがそれぞれ基準になっているようだ。

「うちのシャフトの中で最もシンプルなのが『PT』。純粋にヘッドの性能を感じたければ『PT』でテストしてもらいます。『DI』は『PT』の先端を少しだけ硬くしたモデル。アマチュアの皆さんのスタンダードが『PT』、プロのスタンダードが『DI』と覚えてもらうと分かりやすいと思います」

縞々シャフトのルーツを探る旅「ツアーAD」が生まれた背景は?/大人の社会科見学「グラファイトデザイン社」(前編)
PT(上)とDIは同社の定番モデルだ

アマチュア向けのシャフト試打会でも、その2本を中心に話が進む。「初めに『PT』を打ってもらいます。それで傾向を見る。プロはちょっと先がしっかりした方がいいというので、『DI』を最初に打つことが多い。そこから、手元を硬くするのか、先を硬くするのかを判断して、違うシャフトに移っていく。プロアマ問わず、そのような感じでフィッティングしていきますね」

プロのニュートラルといわれる「DI」を使い、長年トップランカーとしてひた走るのが松山英樹だ。オレンジ色の縞々シャフトは、もはや彼のトレードマーク。「松山選手との付き合いは本当に長いですね。彼の学生の頃から知っていますが、道具へのこだわりは昔から変わらないです」と高橋さんは言う。

「彼、道具オタクなんですよ。アマチュア時代からうちのシャフト使ってもらっていて、それこそ『PT』も使っていたようです。それまでのシャフトは全部打ってもらっていて、超ヘビーユーザーでした。『UB』を使ったり、時に他モデルに移ることもありますが、やはりゲームになると安心感のある『DI』に戻るんです」

高橋さんは時折アメリカにいる松山の元を訪れている。新シャフトの試作品や、彼が好みそうな味付けのシャフトを持参してテストをしてもらう。「こちらが詳細を伝える前に、打ってその性能を的確にいい当てるんですよね。『ここがすごい軟らかく感じます』とか『切り返しでこういうしなり方しています』など、こちらが意図した設計通りの答え。いつも感心させられます」

シャフトの性能を的確にフィードバックしてくれる選手がいるからこそ、シャフト製作のアイデアも広がるのだろう。

縞々シャフトのルーツを探る旅「ツアーAD」が生まれた背景は?/大人の社会科見学「グラファイトデザイン社」(前編)
昨年の全米プロゴルフ選手権にて。いち早く「GC」をテストしていた

それにしても、松山はなぜDIを使い続けるのか? 高橋さんがその理由を推測した。「『ナイスショットはあんまりどのシャフトも変わらない。でもミスした時のミスの幅がわかるのがDI。他のシャフトは1発ミスした時の曲がりがどこまでいくか分からない』と彼が言ったんです。まさにスイングの基準。戻ってこられる指標なんだろうなって思いました」

なぜ秩父だったのか?いち早い女性の社会進出

さて、インタビューで気になっていた疑問を高橋さんにぶつけてみた。工場の取材で女性社員の多さが目についたことだ。「そうですね、社員の半分以上は女性です。特に“巻き”は女性の割合が多い」と説明してくれた。「巻き」とはシャフトの巻き手。なぜ女性が多いのか。

縞々シャフトのルーツを探る旅「ツアーAD」が生まれた背景は?/大人の社会科見学「グラファイトデザイン社」(前編)
広報・販売促進課の板倉琴海さん。女性社員の活躍が目立つ

「やっぱりシャフトを巻くのには技術が要ります。上手い人ほど仕上がりのブレがなく、製品の誤差が出にくい。その技術はやればやるほど磨かれていきます。割れやすい高弾性のシャフトなどはベテランの方じゃないと巻けない」。工場でその巻きの作業を見ていたが、実に細かい。指示書に沿って丁寧に芯棒に原反を巻くのには、手先が器用でないと難しい。

前編で“攻めたシャフト”の話をしたが、大量生産向きか否か、ベテランの巻き手にお伺いを立てていた判断していた時代もあった。「創業当初からいた人が最近定年で退職したのですが、昔はそのベテランの方が、まず新作のテストをしていたというのを聞いたことがあります。『この設計はやめなさい。私ぐらいしか巻けないから大量生産には向きません』というようなこともあったそうです」(高橋さん)

社内でも指折りの技術を持った巻き手はみんな女性。今でも引退した“巻きのレジェンド”が株主総会などに訪れるという。

縞々シャフトのルーツを探る旅「ツアーAD」が生まれた背景は?/大人の社会科見学「グラファイトデザイン社」(前編)
実に牧歌的

先代社長・山田恵氏が拠点に秩父を選んだ背景にも、女性の働き手のレベルの高さがあった。「元々秩父は織物や蚕産業などが盛んで、女性が工場で働く下地がありました。秩父の女性は働き者で、かつ女性の就職率も高かった。昔の集合写真とかも残っていますが、やっぱり半数以上は女性ですよね」。秩父は共働きの家庭が多く、結婚して専業主婦になる割合は低いという。

松山英樹が使う「ツアーAD DI 8TX」のようなハードスペックのシャフトが、女性の手によって繊細に巻かれていたなんて。松山本人は知っているのだろうか――。そんなことに思いを馳せながら、秩父駅へ向かう帰りのバスに揺られていた。

◇◇◇◇

グラファイトデザイン社からは、昨年大ヒットした「GC」に次ぐ25年新作モデルが、もうすぐツアーでお披露目される。新しいシャフトはどのような性能なのだろうか。(取材・構成/服部謙二郎)

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