変わらない? 開発出身の営業マンが貫く「変化」へのこだわり
女子ツアーの高評価から爆発的ヒットに繋がったスチールシャフト
柴田が横浜に戻ったころ、日本シャフトは大きな転機を迎えていた。自社ブランドのシャフトの開発だ。
第1弾となったのが軽量スチールシャフト。これは後に「N.S.PRO 950GH」として大ヒットすることになる。
「軽量にするためにはシャフトを通常より太くしなくてはならず、これでは見栄えも悪くて売れないというのが営業の判断でした。一方で、開発サイドは品質や強度を考え、太さは譲れない。それでも、当時の社内基準ではレディース相当のフレックスしか作れません」
しかし、プロトタイプを女子ツアーに持ち込むとクラブメーカーのツアー担当者からは高評価が得られた。ここから柴田は営業に奔走する。ツアー担当者の評価も後押しとなり、「N.S.PRO 950GH」は初代ゼクシオ(ダンロップスポーツ)の純正シャフトに採用された。
「『950』の発売が1999年で、初代ゼクシオの発売が2000年。我々にとっては絶好のタイミングでした」。ゼクシオの大ヒットにより、「N.S.PRO 950GH」の知名度も急上昇。その後はあらゆるメーカーの純正シャフトに採用され、軽量スチールシャフトの定番モデルとなった。
時代の変化に合わせて製品へのニーズが変わる
「以前はシャフトに『日本シャフトのロゴを入れてもらえませんか?』とクラブメーカーに提案すると『別にいいけど、安くしてくれますか?』と言われました。日本シャフトの宣伝になるのだからという意味です。ところが、『950』の人気が出ると別の重量帯のシャフトにまで『950のロゴを入れられますか?』と、無茶な提案もあるぐらいでした」。営業という立場にいたからこそ実感するブランド力の大きな変化だった。
また、当初の「N.S.PRO 950GH」はフレックス表記をしていなかった。「スチールシャフトを選ぶゴルファーは多少なりとも見栄があって、『R』を使っていることを周囲に知られたくないだろうと配慮していました」
これは戦略として正解だった。ただ、発売から5年ほど経過すると「これじゃRか、Sか分からないというクレームが入るようになりました」。現在発売されている『950』にはもちろんフレックス表記がされている。時代とともに正解は変わる。常に変化に対応する必要性を思い出させる教訓ともいえるエピソードだ。
唯一変わらなかったコロナ禍の“働き方”
さまざまな変化に応えてきた柴田だが、コロナ禍の“働き方”の変化にはいまだ慣れていないと話す。
「会社に来て、作業着を着ると仕事のスイッチが入ります。パソコンがあれば、ほとんどの仕事はできるはずです。ただ、家にいると集中力が10分も続かないんですよ。ですから、車通勤で人と触れ合うこともないので、基本的には毎日出社していますね」
本人はそう苦笑いを浮かべるが、同僚の印象はやや異なる。「もともと、出先から直帰していい時間でも、必ず会社に戻ってくる人ですからね。あらゆることに対応できる場所にいたいんだと思います」。変化にこだわる男が敢えて変化しなかった部分というわけだ。
「『950』のヒット以降、大きく変わったのはエンドユーザーの問い合わせが直接、我々のところに来るようになったということです。私自身が開発にいたこともありますが、工場を持っている会社としては作ってナンボ。変化していくお客さんのニーズに合わせて、可能な限り要望に応えるものを作っていきたいなという思いは持っています」
時代が変わっても変わらないもの。こだわりという言葉からはそんなイメージが浮かぶが、柴田の考えはまったく違う。変わり続けることにこだわる、そんなこだわり方もあっていい。