「出球が右に出るの…マスターズで見るやつだ(笑)」スイングセルフ解説/出利葉太一郎
平田憲聖、杉浦悠太、金子駆大…若手の台頭が著しい男子ツアー。お互いが刺激し合い、“強い世代”を形成しつつある。彼らはどんな経歴でゴルフをしてきたのか、そしてどんなスイングをしているのか。「U-25世代」の若者たちにスポットをあて、セルフ解説してもらった。
ドライバー飛距離の平均はなんと312yd
今回ピックアップする若者は、24歳の出利葉太一郎(いでりは・たいちろう)だ。8歳でゴルフを始め、父親の所属していたコースの縁から篠塚武久(しのづかたけひさ)氏が主催する「桜美式(おうみしき)ゴルフ」に入門した。時松源藏、清水大成らとともに腕を磨き、地元福岡の沖学園高から日大に進学。ナショナルチームの一員として「アジア大会」など国際舞台も数多く経験し、大学4年時にプロ宣言した。
ことしは「東建ホームメイトカップ」で3位に入るなど、賞金ランキング58位で初シードを獲得した。飛距離が魅力で平均311.62ydはツアー4位(11月30日時点)。PGAツアーおよび下部コーンフェリーツアーの来季出場権をかけたQスクール(予選会)の2次(12月2日~)にエントリーしている。彼のスイングをひも解いていこう。
桜美式の教え「引き」がスイングの根幹に
―桜美式で育ったと聞きます。
8歳でゴルフを始めたころから福岡にいる間(高校卒業まで)は、ずっと篠塚先生に習っていました。
―今も教えが生きていますか。
そうですね。(桜美式の基本である)テンフィンガーグリップは親指を絡めない打ち方なので、ケガのリスクは少ないと思っています。また日本人には日本人の体の使い方があって、欧米人とは違って「引き」の強さがあるという篠塚先生の教えは今でも実践しています。自分のスイングの中にはその「引き」があって、悪くなる時は「押す」が出てしまうので、練習で引く動作を意識して入れるときがあります。一緒に教わってきた時松さんや清水さん、和田(章太郎)さんとは、「いつかKBCオーガスタで一緒に回るところを篠塚先生に見せたいね」って話をしています。
―大学以降はどのようなスイングの変遷をたどりましたか?
大学時代はゴルフ部コーチの内藤雄士さんに見てもらい、さらに球が飛ぶようになりました。プロになってからは高橋竜彦さんに師事し、竜彦さんが教わっている辻村さん(辻村明志プロコーチ)にもアドバイスをもらうこともあります。
―めちゃくちゃ飛びますよね。
そうなんですが、悩みもあるんですよね…。ドライバーもアイアンもいくらでも飛ばせられると言うと、いい風には聞こえますが、実際はインパクトがどんどん強くなってしまう怖さがあって。9番アイアンでもラフからフライヤーで200ydは飛んでしまう。今はそれをどう抑えるかを研究しています。
―飛ばしが不利になることもあると。
ショートアイアンで飛ばせるのは、強い武器だとは思います。しかし、それを一発やると、次のホールで160ydぐらいの距離を9番でコントロールしようとした時に、力感が合わせられないんです。力感がまちまちになってしまうというか…。4日間継続して力感が変わらないようにするにはどうすればいいか。竜彦さんとも、「もうちょっと腕の力感を抜くにはどうしたらいいか」という類の話を常にしています。
―やはりコントロールショットが難しい?
はい。飛ばせるからこそ、飛ばした後の縦距離のコントロールが重要と考えています。中でもサンドウェッジが一番打ち分け頻度の高いクラブ。今はその番手の練習に長く時間を割いています。振ろうと思えば115ydはいけますが、振っても100ydに抑えるにはどういうスイングをしたらいいかを考えています。
いいスイングを意識したら自然と「ドロー」に
―持ち球は?
ドローです。
―ずっとドローボールだったんですか?
実は最近変えたんですよ。それこそ竜彦さんに教えてもらってから、スイングを変えました。それまでは「ぶっつけフェード」か「右向いてフック」を打っていました。
―なぜドローに?
腕の力感を抜いて、体を使ったスイングを目指した時に「ドローでしか飛ばない」って気づいたんです。アドレスではターゲットに対して真っすぐ向き、ボール位置は中に入れます。その上で、ヘッドがインサイドから入ってきて、フェースがやや開いてインパクトを迎える打ち方を目指している。うまくいくと、出球が右に出る良いドローが出ます。最近はそのドローが打てる回数も増えてきて、ディスタンスコントロールも良くなっている。ショートサイドのピンも攻められるようになってきました。
―アライメントがだいぶ変わりますよね。
結構、変わりましたね。今まで左を向いて構えていたのが、真っすぐ向くようになりましたからね。右に出球が出るのも「おー、プロみたいだわ、この出球。これマスターズとかで見るやつだ(笑)」って思いながら、ビビらずにやっています。右のミスが出たら「力感が足りなくて振り遅れたんだ」、左のミスが出たら「構えでフェースが左を向いていたんだ」ぐらいの考えで割り切ってやっています。
―シーズン中にスイングを変えるのは怖くなかったですか?
正直、怖かったですよ。でもそこまで成績が良くなかったので、もうやるしかないなって。8月頭の「住地ゴルフチャレンジ」からスイングを変えて、そこから成績が良くなりました。後半戦に出られるリランキングをクリアして、毎週(試合会場で)芝の上から打てるのも良かったですし、やり続ければ上手くなれる状況だったので、今しかないなって。
―スイングの方向性が定まったわけですね。
まだやり始めて3カ月なので、これをしっかり極めていきたい。自分がコントロールできる距離を増やして、ショートアイアンで確実にピンを差していきたい。それができた上で、海外に行ってコース環境が変わって芝が変わった時にどうしたらいいかなど、次の対応ができると思っています。例えばオーストラリアとかで風が強い時に、ローボールを打たなければいけない。そんな時に上体の力感が変わりやすいですが、そのあとどうしたらいんだろうかとかも含めて、そこは次のステップだと思っています。
―スイングの不安は解消されましたか?
ドライバーは今でも不安ですよ。330yd近く飛ばす中で20yd幅しかない日本のコースのフェアウェイに収めなければいけないって考えだすと、やっぱり振れなくなりますよね。でも今は「コース内にあればいい」、「赤杭(レッドペナルティエリア)だったらドライバーを持って攻めよう」と心境が変わった。自分のマネジメントは「できるだけドライバーで行く」なので、それをやり切りたいなって思っています。曲がったとしても、勉強になる。こういう状況だとこんなミスが出るんだなって冷静に見られています。
―ドローに変えて飛距離は伸びましたか?
アイアンショットの飛距離は落ちました。でも、ドライバーは変わらないですかね。シャフトを替えたので、少し飛ぶようになったかもしれないです。
―シャフトはどう替えたんですか?
スイングが良くなってきたので、ちょっとずつしなるシャフトにしています。ガチガチなシャフトじゃないと左が怖かったんですが、今は「しならせて使えばそんなことはない」と思えるようになって。シャフトはしならせて使うってことに、今さらながら気づかされました。
―高橋プロがそばにいるのは大きいですか?
選手として活躍していた方が教えてくれるのは、やっぱり説得力が違う。「そんな細かいこと考えていたら、試合でやってけないだろう」って言われると、そうだよなって安心できる。風が出たらどうしようとか、いろいろ考えてしまうタイプですけど、「ピン見て真っすぐ行けよ」って竜彦さんがズバッと背中を押してくれるので、自信を持って打っていけます。
―米国本土でファーストQTを受けた印象は?
(会場の)ニューメキシコはコースが砂漠で広くて、すごく気持ち良くドライバーを振れました(笑)。高地だったのでキャリーで350ydぐらい飛んで、軒並みハザードを越えてくれました。2打目が9番アイアンとかだったのでチャンスも多く、ボギーを打つケースは少なかったです。
―セカンドQT(12月2日~)が控えていますが、今後のプランは?
まずは2次QTを突破して、ファイナルQTでのコーンフェリーのシード(5位タイより下の上位40人)を目指しています。いい準備をして、アメリカの試合に臨みたいです。
―海外挑戦は苦痛ではないですか?
確かに覚悟も勇気もいります。海外渡航はナショナルチームでもやっていましたが、今回はプロになってサポートも少ない中で渡航しますから。飛行機、大丈夫かなとか、英語、大丈夫かななど緊張もしますけど、でも「ビザ取って飛行機乗っちゃえばもうアメリカだよ」ぐらいの気持ちで考えられるようになっています。ステップを踏めているのは実感できています。
―米国に行って心境の変化はありましたか?
「太一郎ならアメリカでやっていけるよ」って言われ続けていましたが、当時は行かなかったし、行けなかった。それを今回チャレンジしたことが、自分にプラスになっている。ことしはプロテストも受けて、試合に出られない辛さも味わったし、アメリカも挑戦していろんな経験ができています。自分のメンタルの変化も体感した年でしたが、自ら切り開いて行けばなんとかなるなって思えた年でもありました。これからも苦労や困難は続くと思いますが、前を見て、上を向いて戦っていきたいです。
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待機選手として「ダンロップフェニックス」入りしていた出利葉は、朝早く練習場に行き、松山英樹が来るのを待ち構えていた。「一日、見学させてください」と頭を下げ、世界トップランカーのすぐそばで練習や練習ラウンドを食い入るように観察していた。出利葉の思いが伝わったのか、松山も惜しみなく出利葉にその技術を教えていたのが印象的だった。結局その週は出場できなかったが、松山の教えを見聞きし、フェニックスの練習場で充実した練習ができたに違いない。
シーズン後半戦でつかんだ確かな自信と吸収した技術を引っ提げ、出利葉は再び米国に旅立った。(取材・構成/服部謙二郎)