名匠の教えを生かすかどうかは「自分たち次第」
群馬県の高崎駅から車で約20分。東アジアの文化交流を記す特別史跡「上野(こうずけ)三碑」のひとつ、「多胡碑」がある吉井町にゴルフクラブメーカー「フォーティーン」のヘッドオフィスはある。日本が誇るクラブ設計家、竹林隆光(敬称略、以下同)が高崎市内で創業し、約30年前に移転した。社員約50人が働く。
営業部参事の池田純(敬称略、以下同)は、数々の名器を世に送り出して2013年に亡くなった竹林の思いを継承するひとりだ。YouTubeの公式チャンネルを開設、自ら出演してこの地から発信している。
「他のメーカーと同じことをするな」「ユーザーを見ろ」-。竹林の教えを守りつつ、限りある広告予算の中でいかに「プレーヤーに寄り添う」思いを伝えられるか。池田が考えたのは「自分たちのコンテンツを持って、自分たちで発信しよう」ということだった。
■竹林との出会い
竹林と出会ったのは、竹林がメンバーだった美野原カントリークラブ(群馬)でプロゴルファーを目指して研修生をしていた頃。当時、竹林が設計した長尺ドライバー「ゲロンディー」をプロが使って話題になっており、竹林にはクラブのことを相談して、ゲロンディーも購入した。
プロテストにも挑戦して10年が経ち、たまたまゴルフ場に来ていた当時のフォーティーンの営業トップに頼み込んで入社したのは28歳の時。2002年に強烈なスピンが利くウェッジとして登場した「MT-28」が売れ出した頃だ。入社前にプロトタイプを試打した池田は「打った瞬間スピンが利いて、いままで見たことのないような球が打てるすごいクラブだと感じた」という。
他社メーカーのCAD導入により、OEM設計の仕事がなくなりメーカーへと転換し、「竹林が『自分達でクラブを売るしかない』と始めた1発目の商品」。当時の社員は10数人で「猫の手も借りたかった時」。池田の仕事は「組み立て上がった商品にスペックシールを張ったり、シュリンク(包装)の作業をしたり、毎日が検品と出荷だった」。以来、“フォーティーンといえばウェッジ”が世に浸透した。
■マーケティング担当の継承
「常識を疑え」と唱えた竹林は、常識では考えられないほどのスピンがかかるウェッジ、常識を超えた長いドライバー、常識にない中空構造のアイアンを世に送り出した。一方で、「経営者として商売をコントロールしていた。どういうモノをつくって、どう広告したら効果的かなど、全部コントロールしていた」という。
たとえば、47インチの「CT112ドライバー」の広告。「体積や反発係数、長さ、すべてルールぎりぎりにしようというコンセプトで『ルールぎりぎり』というキャッチコピーを考えた。その後、『ギリギリ』は(他社に)取られちゃったんですけど(笑)。竹林はそういう広告の細かいところもやっていた」
クラブの企画から広告まで携わっていた竹林が亡くなる前、池田は広告やマーケティングの仕事を引き継いだ。「すごく体調は悪かったと思うが、療養中の自宅やホテルのラウンジで話を聞きに行った」という。