流行よりも本質を 干場義雅がこだわるグレーのスーツとメイド・イン・ジャパン
ちょい不良(わる)オヤジ――。かつて一世を風靡したこの言葉を世に広めたのが、当時ファッション誌「LEON」の編集者だったファッションディレクター・干場義雅(敬称略、以下同)だ。現在はウェブマガジン「FORZA STYLE」の編集長を務めるほか、さまざまなブランドのプロデュースを行うなど多方面で活躍している。50歳を前にゴルフにもハマり始めたという男のこだわりと、そのルーツに迫る。
ファッション系のバイトから編集者の道へ
父と祖父がテーラーという家庭に育った18歳の干場は、人一倍ファッションに強い興味を持つ若者だった。アルバイト先は渋谷の有名アパレルショップ。さらに割のいいバイト感覚で、ファッション誌の読者モデルも務めていた。転機となったのは、撮影現場で目にとまったひとりの男性。「カメラマン、ヘアメイクの方がそれぞれの仕事をしている中、ワープロの前で何もしていない人がいたんです。しかも、いいジャケットを着て、いい靴を履いて、撮影が終われば食事に連れて行ってくれる。何をしているんだろうと思ったら、現場をすべて仕切っている編集者でした」
魅力的に映ったことをきっかけに編集者を目指した干場は、2年後の当時20歳のとき、撮影で知り合った編集長に直談判して出版社に入社。誰よりも早く編集部に行って、掃除や片付けをするという“昭和”な下積みを経て、編集者としての道を歩み始めた。
グレーばかりのスーツが物語るもの
いくつかの雑誌を経て「LEON」ではヒット企画を連発する人気編集者となり、新たに創刊された雑誌の編集長も務めたが、数年でその地位を捨ててしまう。「ファッション誌にいると、しがらみもあってトレンドを追わざるを得ないんです。でも、去年は赤いバッグ、今年は青いバッグで、それが20万円もしたら、お金がいくらあっても足りないじゃないですか。そういうことじゃなく、もっと本質的なことを伝えたいなと思うようになったんです」
長年、ファッション業界のど真ん中にいながら流行は好まない。良いものを長く使う。自分の型を突き詰める。2010年、そんな自らのこだわりを偽りなく発信するために独立を選んだ。
実際、干場のワードローブには流行り廃りとは無縁のアイテムが並ぶ。父親の影響でスーツはグレーばかり。「色を入れるのは好きじゃないので」と、そこに白のワイシャツ、黒のネクタイを合わせるのが変わらない干場のスーツスタイルだ。その分、こだわりはとても強い。「グレーのスーツなら何がいいのか? イギリスの生地がいいのか、仕立てるのはイタリアなのか、日本なのか。専門的というよりもオタクですよね。でも、そうして探っていかないと人に伝えることはできないと思っています」。靴、カバン、時計、革ジャン、Tシャツ…。あらゆるアイテムに同じような深いこだわりが詰まっている。
追求型なのはプライベートでも同じだ。「少し前にバジリコのパスタにハマって、いろんなお店で味わいました。そのうえで自分でも作り始めて、この白だしがいいとか、大葉とパセリをみじん切りにした方が絶対ウマイとか、とにかく一番のバジリコのパスタにたどり着くまでやるんですよ」。好きなものにはどこまでもこだわり、異常なまでの探求心を発揮する。