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フジクラ特集
2025/05/09

フジクラシャフト小高工場がリスタート 稲村亜美が見た震災から復興した現場

連載:老舗シャフトメーカーが誇る伝統と新たな血統
2025年 フジクラ特集 稲村亜美さんがリスタートしたフジクラシャフトの小高工場へ。最前線のものづくりに触れた
稲村亜美さんがリスタートしたフジクラシャフトの小高工場へ。最前線のものづくりに触れた

カーボンシャフトでは今や国内外で多大なシェアを誇る藤倉コンポジット。福島県南相馬市にある同社の小高工場が東日本大震災を乗り越えて、竣工から13年を経た昨年10月に再稼働した。ゴルフネットワークの情報番組「稲村亜美・アンタッチャブル柴田の『ゴルフスイッチ!』」の番組収録で2年ぶりに福島を訪れたタレントで番組MCの稲村亜美さんの工場見学に同行した。

■竣工からわずか半年で被災

2025年 フジクラ特集 東日本大震災から復興した小高工場。建物は約29億円をかけてリニューアルされた
東日本大震災から復興した小高工場。建物は約29億円をかけてリニューアルされた

「現在はゴルフシャフトの部門で約65名、別の部署に30名、100名前後が小高工場で働いています」。そう説明してくれたのは藤倉コンポジット製造部部長兼製造チームでリーダーを務める庄子敏幸氏だ。まるで被災などしていないかのように平穏な雰囲気に包まれた小高工場。今回初めて足を踏み入れた稲村亜美さんも、「ものすごく清潔に保たれていますね」と驚きの様子を隠せない。

だが、ここまでの道程は決して平坦ではなかった。同工場が竣工したのは2010年10月。同じ南相馬市にある原町工場が老朽化していたこともあり、新たな製造拠点として誕生した。ゴルフシャフトの製造に関わる機械類を移動し、順風満帆なスタートを切ったかに思われたが、翌2011年3月11日、東日本大震災が発生。12日には福島第一原発で水素爆発が起こり、放射線物質の放出、拡散の恐れから工場は立ち入り禁止区域となった。

2025年 フジクラ特集 工場を案内してくれた庄子敏幸さん(右)
工場を案内してくれた庄子敏幸さん(右)

「工場周辺のインフラがほぼ停止した状態でした。使用していた機械を約1カ月かけてなんとか原町工場へ移したんです」(庄子氏)。すべての機械を移すことが難しく、必要最低限のものだけを移動。さらに、原町工場の一部を改装し、老朽化に対応したことでシャフトの製造を続けることができた。以来、10数余年、いつまでも原町工場で稼働するわけにもいかず、白羽の矢が立ったのが小高工場だった。

■現場の認識共有に課題があった

2025年 フジクラ特集 シャフト製造工程などで約100人が働いている
シャフト製造工程などで約100人が働いている

小高工場の建物自体は目に見える大きな被害がなかったとはいえ、壁や床にはひび割れがあったという。建物の基礎となる部分も破損し、耐震強度の問題もあったため、約29億円をかけて工場内にある2つの建物をリニューアルした。

さらに、引っ越しの際には震災当時に持ち運べなかった機械を破棄すると同時に、新たな機械を導入した。聞けば、シャフトを製作するために作られた藤倉コンポジットオリジナルの機械も多数あるという。

2025年 フジクラ特集 シートの裁断工程について説明を受ける稲村さん
シートの裁断工程について説明を受ける稲村さん

総敷地面積7万平方メートルのうち、シャフト部門の建物が4700平方メートル。「原町工場と比べて2倍の広さになったので、以前よりも作業をしやすくなっています」と庄子氏が語るように、工場内に窮屈さを感じることはない。稲村さんも「以前に訪問した原町工場よりも、スタッフの皆さんがスムーズに作業をしているように見えます」と違いを語る。

ただ、建物のリニューアル以上に苦労したのがスタッフの意思統一だった。「同じ南相馬市とはいえ、原町工場と小高工場は車で30分ほどの距離があります。原町工場で働いている人は小高工場とは反対側に住んでいるケースが多く、通勤するのも大変ですからね」(庄子氏)。震災を経験した地に再び戻るというネガティブな印象もあり、個別の面談を何度も重ね、当時を知るスタッフと復興の思いを同じくする新たなスタッフで移転の意思を決めた。

実に震災から13年7カ月ぶりとなる昨年10月に再稼働した小高工場。その間、藤倉コンポジットは歩みを緩めることなく、カーボンシャフトのシェアを国内外の男女ツアーはもちろん、アマチュアゴルファーにも確実に広げていった。

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