「ゴルファーに一番近い会社」に息づく名匠・竹林隆光の言葉
いまではプロのみならずアマチュアもアイアンセットとは別に単品ウェッジをセッティングに組み込むようになった。ブームの先駆けをつくったのが、ゴルフクラブデザイナーの竹林隆光さん(以下、敬称略)。数々の名器を生み出した、日本を代表する名匠がこの世を去ってことしで10年になる。
クラブメーカー「フォーティーン」(本社・群馬県高崎市)の創業者、竹林は2013年に亡くなった。64歳だった。「ゴルフ業界に重心理論(重心距離や慣性モーメントなど重心の位置を示す数値)を持ち込んで、職人のフィーリングや勘を数値に置き換え、ゴルファーとゴルフクラブをつないだ。世界のゴルフ業界の設計開発をデジタルに変えた。それはすごいことだと思います」。現社長の桐谷一郎(敬称略、以下同)はその功績を称賛してやまない。
■ヒットの余韻
埼玉・日高カントリークラブに勤務していた桐谷が同社に転職したのは1991年。「ゴルフショップをやりたい。クラブを販売するには知識があった方がいいと思い、恐れ多いが、開発設計の第一人者の門を叩いた」。ゴルフメディアで著名になっていた竹林が設立した会社は他社メーカーのOEMを担い、創業10年を迎えていた。
入社時は、1990年の「大京オープン」(沖縄)で同社設計の『モメンタム』アイアンを使用したプロが優勝し、話題を呼んで大ヒットした「余韻」があったという。「3年間だけ勉強させてください」「近くにアパートを借りましたから」と半ば強引に入り込んだ。まだ、パーシモンを販売していた頃で、社員番号は「7番」だった。
■記憶に残る言葉
入社後は研磨からメッキなど製造担当や営業を担当した。地方出張や取引先の試打会などで竹林に同行し、仕事の前後には釣りにも。「貪欲というか、徹底的にやる人だった」という。記憶に残るのは「常識にとらわれず、非常識なものでもやってみないとわからない」「変化はいとわない、変化はしないとダメだよ」といった竹林の言葉だ。
1998年に発売した48インチの長尺ドライバーは格好の例だった。「竹林本人も『長尺は難しい』と言っていたが、近くのコースでテストしてみたらとんでもなく飛んだ。そこで、シャフトに工夫して、ヘッド体積を当時としては限界の300ccにして最終的には実戦で使えるものにできた。『常識にとらわれない』というモノづくりがあった」