「そのときのベスト」に込めた開発責任者の矜持
世界進出で求められたのは“今までにない”スチールシャフト
そんな井上の仕事ぶりが際立った製品が現在、世界的な定番シャフトとなり、多くのゴルファーに愛用されている。日本シャフトが世界市場へ踏み出すきっかけとなったスチールシャフト「MODUS3(モーダス3)」ブランドだ。
もともとは、世界のトッププレーヤーが集う米国ツアーに“参戦”すると会社が決めたところから始まった。どういう方向で取り組むべきなのかを模索し、当初は米ツアーで主流だったシャフトの性能から大きく外れない製品を開発しようと考えていたという。ただ、現場からは「実際に打った球に変化を感じられなければ意味がない」とずいぶんな言われっぷりで、想定外の方向性が主だった。
「具体的なオーダーとしては、先を硬くして真ん中をしならせるというもの。要はリリースが早いと球が上がるし、溜めて打ったら低く出るというシャフトでした」
言葉にすると簡単そうに聞こえるが、そもそもスチールシャフトの設計には自由度が少ない。それまで主流とされていたスチールシャフトはクセがなく、やや粘り感があるものが求められていた。日本の男子ツアーでも同じシャフトが主流だったため、それまでに積み重ねてきたデータや経験値も、基本的にはそのラインから大きく外れない部分に集中していた。
米国ツアーの現場からは、新規参入ということで今までにない新しいタイプを求められたのだ。スチールシャフトは、単純に先の剛性を強めて中間部をやわらかくしてしまうと、その部分で折れてしまう可能性が大きい。耐久性を担保できず商品化が不透明なシャフトを開発することに、社内もさすがに「やってもしょうがない」という意見が大半だったという。
井上も米国ツアー参入への壁を感じてはいたが、なんとかオーダーに応えたいというスタンスだった。届けられる無理難題に一つひとつ耳を傾けていく中で、ふと「これならいけるんじゃないか」と言う剛性分布が頭に浮かんできたという。これが「モーダス3」シリーズの原型。そこからは、壁など何もなかったかのように、現場の求める製品を完成させ、世界一を競うプロたちの間でのヒットに結び付けたのだ。
「モーダス3」シリーズは海外ツアーで主流のシャフトへと成長。このときの苦労があるからこそ、「レジオ フォーミュラ」シリーズや「ゼロス」シリーズといった製品にもつながったと井上は振り返る。
無意識に思い浮かぶ新製品の剛性分布
職人的思考の中でのハイライトは、売上金額や知名度の多寡と必ずしも一致しない。井上が日本シャフトに24年勤務している中で、最も思い出に残っている仕事は、ウェッジ専用のシャフトを開発したことだという。
「当時はヘッドに溝規制がかけられた時期だったのですが、その流れでウェッジ専用シャフトを作ることになりました。規制によってスピンが入りにくくなるけど、『シャフトでどうにかできないか?』という考えが生まれたわけです。今まではヘッドの機能でどうにかしていたものをシャフトでなんとかする。この課題は難しいなと思いました」
「これを話してもあまり信じてもらえないですけど…」と前置きしつつ、井上は続けた。「自分の頭の中に剛性分布みたいなものが浮かんで、それを設計に落とし込んでみました。ヘッドがこう動けばいいのかと考えると、剛性分布とか肉厚分布が頭に浮かんでくることがあります」
まるで作曲家の頭の中にメロディーが降りてくるように、突然シャフト剛性のイメージが湧いてくることがある。「剛性とは何だろうか?」と考えるレベルの私たちにはなかなか想像しにくい話だが、そういうことが頭の中で起きると、得てしてそのシャフトは目的を達成する仕上がりになるケースが多いとか。
限られた時間の中で最大限の製品に仕上げる
「シャフトだけじゃないのですが、モノ作りはある意味、ゴールがなくてキリがないものですから。だからこそ、そのときのベストを作るよう心がけるしかないんです」
毎年のように新しいシャフトが発売される中で、モノづくりの思考や作業が止まることはない。井上が言う「そのときのベスト」とは、課せられた新製品のコンセプトに対して、限られた時間の中でできる最大限の製品に仕上げることだ。
「完璧を求めればキリがないのは事実です。時間の制限もあれば予算の制限ももちろんあります。その中で、できる限り納得できるものを完成させる。ユーザーから思っていた通りの評価が聞けたときは本当にうれしいですし、ホッとします」
キャップの下で理知的な目をほころばせ、井上は達成感を感じる瞬間を最後に語った。次はもっと良いものを、その次はもっともっと良いものを作り出していきたい。頭の中にはすでに次のシャフトのメロディーが流れているようだ。