契約ではなく「共育」 倉林紅とヨネックスの成長物語
■ジュニア時代を支えた「手厚すぎるサポート」
ジュニア時代、成長期とともに体格やスイングが変化していくなか、スタッフ陣は常に彼女に寄り添い続けた。特筆すべきは、仙台の担当者が練習場まで頻繁に足を運び、本人の感覚を何より優先して調整してくれたことだ。
「ヨネックスのみなさんは『今の紅(こう)ちゃんの感覚』を大切にしてくださって。既製品を渡すんじゃなくて、現場で本当に細かく調整してくれたんです。他のメーカーに行くなんて選択肢は、私にはありませんでした」
その信頼関係は深く、プロテスト合格時には、担当者が岡山県の会場まで「おめでとう」の一言を伝えるためだけに駆けつけてくれたほどだ。
■感覚派の彼女を支える「鉛の達人」
プロの過酷なセッティングの中でも、倉林のプレーを揺るぎないものにしているのがヨネックスのギア、そしてスタッフの技だ。彼女は自他共に認める「直感派」であり「感覚派」。少しでも「顔(見た目)」や「打感」が気に入れば、即座に試合で投入する大胆さを持つ。
その繊細な感覚を支えるのが、ツアーを共にし、彼女が「鉛の達人」と呼ぶスタッフの存在だ。毎週変わる体のコンディションや感覚のズレを絶妙な鉛の調整ひとつで解消し、「よし、行ってらっしゃい」と送り出してくれる。
今回の初優勝も、実はウッドの調整を数週間にわたって試行錯誤した末、優勝週に「これかも!」という完璧なセッティングに巡り合えたことが大きかった。
「本当に緻密にチューニングしてもらっているので、どんなに緊張する場面でも『このクラブなら絶対に大丈夫』って、100%信頼してアドレスに立てる。それが私の最大の武器です」
■「共育」が導く次なるステージ
優勝が決まった瞬間、彼女以上にボロボロと涙を流して駆け寄ってくれたスタッフたちの姿があった。「優勝が決まった瞬間、スタッフのみなさんが私以上に泣いて喜んでくださって……。『あぁ、このチームと一緒に戦ってきて本当によかった』って、胸がいっぱいになりました。一人で勝ったんじゃない、チームみんなで掴んだ勝利なんだって心から思いました」
長年ともに歩んできた倉林にとって、ヨネックスとの関係を一言で表すなら「共育」という言葉がふさわしい。震災を乗り越え、泣き虫だった少女が、一人のプロゴルファーへと成長する過程のすべてを、チームが支えてきたからだ。
「最高のサポートがあるからこそ、私はもっと上のステージを目指せる。お互いに信頼し合って、高め合いながら一緒に育っていきたいです」
プロ初優勝という大きな一歩を踏み出した倉林だが、その視線はすでに次なる目標へと向いている。
「ルーキーイヤーで2勝目を挙げることは、本当に難しいことだと思います。でも、まだシーズンの半分以上が残っています。次はそこを目指して、さらに上を目指して頑張りたいです」
チームヨネックスと共に歩む彼女の物語は、ここからさらに加速していく。
倉林紅(くらばやし・こう)
2005年6月29日生まれ、宮城県出身。東北高卒。6歳で兄の影響によりゴルフを開始。中学・高校時代に「東北ジュニア」3勝を含む数々のタイトルを獲得し、2025年3度目の挑戦でプロテスト合格を果たした。2026年シーズンはQTトップの資格で参戦。名前の由来は「紅一点」。
【素顔】明るく切り替えの早い「天然」キャラ!?
ボールをホテルに忘れて残り4個で冷や汗をかきながらプレーしたこともある、うっかり屋な一面も。オフは母との車中カラオケや、大好物の「ユッケ」を食べてリフレッシュ。最近はTikTokを参考に、マドレーヌや豚汁作りに励むこともあるそうだ。
撮影協力:伊都ゴルフ倶楽部(福岡県糸島市)


















