始まりは1932年 “Bの歴史”をお勉強/大人の社会科見学「ブリヂストンボール開発 M&Dセンター秩父」#1
2010年前半には、競合に対して劣勢だったブリヂストンのボールは、2016年ごろから右肩上がりで成長曲線に。そして2023年には市場で最も売れたボールメーカーとなり、今や、ツアーボール市場(カテゴリー)でも、王者タイトリストに肉薄する勢いだ。なぜブリヂストンはV字回復を遂げられたのか。その理由を探るべく、秩父の開発拠点に潜入。90年以上にわたる歴史から、ボールの開発秘話、さらにはタイガー・ウッズの感覚を具現化した背景まで、徹底的に取材した。その全貌を余すことなくお届けしたい。(第1回/全5回)
開発の心臓部に潜入取材
西武池袋線特急「ラビュー」に揺られること約1時間、取材班は埼玉県・秩父にやってきた。レトロな街並みに小さな温泉街、神秘的な三峯神社、そしてホルモンや蕎麦がおいしい土地。そんな場所に、タイガー・ウッズが絶賛するブリヂストンのボール開発陣がいるとは、にわかに想像しがたかった。
秩父駅から車で15分ほど走ると、山あいの美しい風景の中に、突如として「BRIDGESTONE」の看板が現れた。もともとここに生産工場もあったが、2011年に関工場(岐阜県)と統合し、現在はボール開発部隊のみが残っている。まさに開発の心臓部が、この秩父にある。
社屋に入ると、壁一面に歴代のブリヂストンボールの歴史が展示されていた。その始まりは90年以上前にさかのぼる。ブリヂストンといえば、世界を代表するタイヤメーカーだ。創業は1931年で、翌年には早くもゴルフボールの開発を開始していたという。
「創業者の石橋正二郎には先見の明があったのでしょう。ゴルフは必ず流行るという考えがあったそうです」。そう語るのは入社以来30年以上にわたり、ボールの開発・企画に携わってきた、ブリヂストンスポーツ・ボール商品企画ユニットの宮川直之氏だ。
福岡県久留米市にタイヤ工場を設立し、その一角でボールの生産も開始。戦時中は生産を中断したが、1950年代に再開した。1952年には生産拠点を横浜へ移転し、1956年には「Q」という斬新なネーミングのボールも発売した。「QはQualityの頭文字。当時から最高品質と均一性には強いこだわりがありました」
一つ目のターニングポイント「ADレクスター」
最初の転機となったのが、1977年に発売した「ADレクスター」だ。「当時はモデル名をディンプル以外の部分にしかプリントできず、ディンプルの占有率を高めるには限界がありました。『ADレクスター』はネームの下にもディンプルを配置できた点が画期的でした」
オールディンプル構造を採用した同モデルは大ヒット。336個のディンプルによって揚力と飛距離性能が大幅に向上し、“AD旋風”と呼ばれた。1978年の売り上げは前年比42%増を記録する。ゴルフ界はAON(青木功・尾崎将司・中嶋常幸)時代がはじまり、女子ツアーでは樋口久子が1977年の「全米女子プロゴルフ選手権」で日本人初のメジャー優勝を達成。空前のゴルフブームに沸いていた。
日本がバブルに突入した1980年代、糸巻きボールが主流の中でブリヂストンはソリッドボールへの開発を進めていた。1982年には日本初の2ピースソリッドボール「ALTUS」を発売。画期的な構造により、日本のゴルフ界に2ピースボール旋風が起こり、同製品はゴルフボールの世界を超えて同年の「日経年間優秀製品賞」を受賞した。ブリヂストンは「ALTUS」ではじめて国内シェアNo.1を獲得した(二つ目の転換期)。
そもそも糸巻きとソリッドボールは何が違うのか?「糸巻きはボールの中心に糸ゴムを何重にも巻いてコアの役割を持たせていました。打感が軟らかいことが特徴です。一方、ソリッドボールのコアは一体成型されたゴム組成物になっています」
糸巻のフィーリングを持ったボールの開発
世界的にはまだまだ糸巻きボールがスタンダードだった。それを変えたのは1993年に発売した「レイグランデ WF 432」だ。ブリヂストンのボールが世界的評価を受けるきっかけとなる第3の転換期となった。今でもときどき、ゴルフ場で練習ボールを買うと「レイグランデ」が混じっていたりするので馴染みがある人も多いだろう。
「海外で糸巻きボールが人気だった理由は打感です。当時のソリッドボールは打感が硬かった。でも性能、品質は絶対にソリッドボールの方が良いことはわかっていました。そこで開発したのが糸巻きのフィーリングを持ったソリッドボール。WFは『Wound FEELING』の略で、『Wound』は糸巻きという意味です」
「レイグランデ WF 432」は尾崎将司をはじめとする日本のトッププロが使って大ヒットしただけでなく、海外でも大旋風を起こした。PGAツアーではニック・プライスがこのボールを使って1993年、1994年と2年連続で賞金王。1994年には「全英オープン」「全米プロ」とメジャー2勝を挙げて、PGAツアーでもブリヂストンボールの活躍が話題になった。
1993年は経営、生産面でも大きな変化があった。それまでは親会社のブリヂストンが開発し、ブリヂストンスポーツが販売するという構図だったが、1993年からブリヂストンスポーツが開発から全てを担うことになった。同年、埼玉県・秩父市にブリヂストンスポーツ株式会社 M&Dセンター秩父を設立。同社のゴルフクラブ、ボールの開発拠点であるだけでなく、ボールの生産も行っていた。
1990年代のブリヂストンはボールが絶好調だった。「レイグランデ WF 432」がツアーで大活躍しただけではなく、1994年から1998年まで「ALTUS ニューイング」が5年連続でベストセラーを記録。そして2000年にはウレタンカバー3ピース「TOURSTAGE U-Spin」が誕生して、現在のツアーボールの原型となるターニングポイントとなった。
当時はウレタンカバーの糸巻きボールは存在したが、ウレタンカバーの3ピースソリッドボールは世界初。圧倒的なスピン性能が話題になり、これが第4の転換期となった。
「UスピンのUはウレタンカバーの意味です。PGAツアーではプロ使用モデルとして『プリセプトMCツアープレミアム』を発売。この頃から世界のゴルフメーカーは一気にウレタンカバー、スリーピースボールの争いに入りました。当時のブリヂストンは米国では『プリセプト』、日本では『ツアーステージ』としてボールを展開していました」
宮里藍とツアーステージの関係性
2000年代のゴルフ界と言えば宮里藍だろう。藍ちゃんフィーバーも重大な転換期だ。彼女とボールには“奇跡的な縁”があった。
「宮里プロがはじめてブリヂストンのボールを使ったのが高校3年生のときの『ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン』でした。その試合でいきなり優勝、そして10月からブリヂストンと契約することになりました。翌年の開幕戦で『ツアーステージ X01 S』をはじめて使って、また優勝。その後は少し硬めのボールの方で飛距離性能を優先するようになって『ツアーステージX01 H』を選ぶのですが、そのボールもはじめて使った『第1回女子ワールドカップ』で優勝しています」
はじめて試合で使うボールで優勝する。それが宮里藍だった。2000年代は彼女をCMに起用した「ツアーステージ V10」も大ヒット。5度目の転換期を迎える。
しかし、2010年代に入ると、ブリヂストンのボールは勢いを失っていく。「『ツアーステージ』から『ブリヂストンゴルフ』に統合した2014年以降はまさにどん底。ツアーモデルのシェアがかなり落ちてしまった。当時はタイトリストとスリクソンの2強時代と言われていました」
「B」の逆襲の始まりはウッズとの契約
その流れを変えたのが第6の転換期となるタイガー・ウッズとの契約だった。
「ナイキがゴルフ事業から撤退し、タイガーは新しいボールを探していました。さまざまなメーカーをテストする中で、『ブリヂストンゴルフ TOUR B 330S』を気に入ってくれた。そしてタイガー側から契約の打診があったのです」
ここから「B」の逆襲がはじまった。この「B」ロゴには意外なエピソードがある。
「当初は『BRIDGESTONE GOLF』と表記していましたが、契約選手のブラント・スネデカーから『Bマークにしたらカッコイイのでは』という提案がありました。ただ、当時は練習場ボールと同じ印象になる懸念もあり、自信は半々。最初は数量限定で発売しましたが、これが一気にヒット。翌年からBマークが主流になりました」
そして2019年、タイガー・ウッズが「ツアーB XS」でマスターズ優勝。これを機に一気にシェアを回復、今は2014年の約3倍以上のシェアまで戻している。
「2025年はメーカー別の販売数量でシェア1位になりました。ただし、ツアーボールではまだ2位。それでもNo.1メーカーに迫っています。現役のうちになんとかひっくり返したいですね」
穏やかに語っていた宮川氏の目が、鋭く光った。逆襲のストーリーは、まだまだ続きそうだ。次回はボール開発の最先端をレポートしたい。(取材・構成/服部謙二郎)