契約ではなく「共育」 倉林紅とヨネックスの成長物語
女子プロゴルフ界に、また一人眩い輝きを放つ新星が現れた。2026年7月、女子ツアー史上最多となる7人によるプレーオフを制して、ツアー初優勝を果たした倉林紅(くらばやし・こう)。宮城県富谷市出身の21歳。ジュニア時代からヨネックスのクラブを使い続け、10年以上の歳月をこのメーカーとともに歩んできた。契約という言葉だけでは語りきれない、選手とメーカーが共に育ってきた物語とは。本人に直撃して聞いた。
■チアダンスが原点、震災を経てゴルフの道へ
女子ツアー史上に残る激闘となった7月の「資生堂・JALレディスオープン」を、プロ1年目にして勝ち取った倉林。緊迫した空気のなか、最後に勝利を掴み取った彼女は、当時の心境を少し照れくさそうに、けれどハッキリとした口調でこう振り返る。
「ルーキーイヤーで優勝したいという目標を立てて今シーズンに入ったので、まずはそれを早くに達成できたのがすごくうれしかったです。プレーオフに入ったときは、とにかく集中していて、怖さは全然なかったです。『今まで自分がやってきたことを信じるしかない!』って、それだけでしたね」
一躍スポットライトを浴びた倉林だが、その原点は意外にもゴルフとは別の場所にあった。「実は、元々はチアダンスをやっていたんです。とにかく体を動かすのが大好きで、当時はチアに夢中でした」
しかし2011年、5歳の時に東日本大震災が発生。津波の被害こそ免れたものの、暗い家の中で家族と身を寄せ合って眠ったり、食料やガソリンを求めて大行列に何時間も並んだりと過酷な日々を過ごした。チアの活動も中止となるなか、両親の「辛い思いがあったからこそ、新しい夢に挑戦しよう」という言葉に背中を押され、震災の3カ月後、兄の後を追うようにしてクラブを握った。
■「お兄ちゃんは絶対」―どん底で救われた言葉
ツアープロを目指し、予選会などに挑戦している4歳上の兄にキャディとしてサポートしてもらっている。「自分にないものを一番持っている。お兄ちゃんは絶対的な存在です」と語るほど、彼女にとって兄は最大の理解者だ。感情的になりやすい彼女に対し、兄は冷静に状況を判断し、的確にアドバイスしてくれるという。
特に大きな転機となったのは、2度のプロテスト失敗を経て挑んだ、2025年の「オーガスタナショナル女子アマチュア」だった。初日は大きく出遅れ、予選通過は絶望的な状況だった。しかし、キャディを務めた兄の「まだ諦めんなよ」という一言に魂が震えた。2日目にベストスコアを出し、1打差で予選を通過。「ゴルフは最後まで何があるかわからない」と痛感したこの経験が、3度目のテスト合格、そして今回の優勝へと繋がった。
プロ転向後、結果が出ず感情的になっていた時も、兄は「そんなに自分の感情に左右されていたら1年やっていけないし、持たないよ。もっと周りを見なよ」と厳しく諭してくれた。優勝時、普段はポーカーフェイスで無口な兄から届いた「おめでとう」のLINE。プロテスト合格時でさえ言われなかったその言葉が、何よりの宝物になった。
■ヨネックスとの出会いと地域が育んだ「常勝」のDNA
本格的に競技ゴルフへと打ち込み始めた頃、彼女の手になじんだのがヨネックスのクラブだった。最初は兄のお下がりや、ピンク色のジュニアセットから始まった。
「初めて打ったときの感覚は、今でもはっきりと覚えています。『打感がすごく柔らかくて気持ちいい!』と感動したんです」
自分が振り抜いた感覚が、そのまままっすぐボールに伝わってくれる。一発で「これがいい!」と直感したその日から、彼女のそばには常にヨネックスがあった。
倉林とヨネックスの絆を象徴するのが、同社が主催する大会での圧倒的な相性の良さだ。これは、ヨネックスが長岡市などと共催し、地域一体となってジュニア育成支援に取り組んできた活動の結実でもある。
「ヨネックスさんのご縁があるのか、ヨネックスさんの大会だけはなんかこう強くて。気合が入るんです」
その言葉通り、小学2年生から出場していたジュニア大会では、通算で8~9勝という驚異的な戦績を収めた。自宅にはその時に手にしたトロフィーがずらりと並んでいる。その勢いはプロのトーナメントでも変わらず、アマチュアとして「ヨネックスレディス」に出場した際は、出場した2回ともローアマチュア(ベストアマチュア)を獲得した。「ローアマを取れたのはヨネックスレディスだけ。本当に不思議な縁を感じています」
地域に根ざした育成の場があったからこそ、彼女の中に「ヨネックスならいける」という揺るぎない自信が刻まれたのだ。



















